2017.10.19 Howto

「贋作」に強いアート作品は?

古今東西贋作エピソード

名画贋作のエピソードはいろいろとありますが、マスコミで大きな話題となったのは2006年、芸術選奨受賞を巡っての日本人洋画家Wさんとイタリア人画家Sさんとの対立でした。

この話は1通の投書がきっかけでマスコミに大きく取り上げられ、連日、テレビのワイドショーの話題となり、ローマ在住のSさんのアトリエに日本のマスコミが殺到して、大騒ぎになりました。

贋作が世間に出回る場合の多くは、亡くなってしまっているアーティストの作品が多いのですが、この時にはWさんとSさんの作品をテレビ画面上で合成してみたり、分析してみたりして、けっこう長い間、話題になったと記憶しています。このケースの場合、構図を見る限り、どちらかが見て真似したとしか思えないほど酷似していました。

アーティストの多くはなかなか自分のアトリエに見ず知らずの人を招き入れません。アトリエ訪問を許されるというのは、アーティストが心を開いている状態です。Wさんの場合、ローマのSさんのアトリエ訪問の折に、作品に感動したということで写真撮影を許されていました。この写真を元にして新たな作品を描いたわけです。それは知り合いだった2人の友情の裏切り行為だと私は強く思います。

以前、奈良美智さんの作品の贋作が、オークションのカタログに掲載されるという事件が起きました。奈良さんの所属する小山登美夫ギャラリーの小山氏が気付き、オークション会社に連絡したものの、カタログはすでに世界中に配布されてしまっていた、というケースです。

オークションへ出品されることは差し止めされたのですが、それで解決したわけではありません。もし仮に、世界規模の詐欺団がいるとして、巷に出回ってしまったカタログを使って、近い将来、偽物の奈良さんの作品が本物の作品であるかのように、騙して商売する可能性がないとは言えないのです。

 

オリジナルとコピー

 

一方、オリジナルとフェイク(偽物)という対立項とは別に、オリジナルとコピーという問題もあります。コピーとは複製を意味しますが、最先端の印刷技術となると、オリジナルとコピーの区別が専門家でも難しいほどの、物凄く高度なコピー技術が登場してきています。

例えば、京都の神社や仏閣が持っている日本画の中でも相国寺がコレクションしている伊藤若冲の作品は日本の国宝と言っていいものだと思いますが、2007年に開基足利義満600年忌を記念して開催された若冲展では、京都に生まれた若冲が両親と自分の永代供養のために寄進した釈迦三尊像(三幅)と動植綵絵(三十幅)が118年ぶりに一堂に展示されました。

動植綵絵は皇室に献納されているため、両者が揃うのは異例中の異例であり、今後二度とないということで、展覧会終了後、ハイビジョンカメラで撮影し、コピーを制作したと聞きました。

その仕上がりが凄いそうで、若冲のオリジナルと比べても、迫力は遜色ないものだったそうです。こうした文化財を世界一の印刷技術を持っている日本が率先して、保護のために利用するのは素晴らしいことです。

高度な印刷技術を前にすると、確かにオリジナルだけが持っているはずのオーラごと、新しく転写されてしまったように感じないこともありません。それほどに人間の眼はだまされやすいのかもしれません。

 

現代アートは贋作に強い

では、どうすれば良いのでしょうか。
確かに、作品にサインが入っていても、目の前の作品が本物かどうかは迷うことがあると思います。

人気テレビ番組の「開運!何でも鑑定団」でも、依頼主は価値があるものと思って番組に登場しますが、実は評価額が低くてがっかり、というのを視聴者は喜んで見ているわけで、真贋というのはなかなか手強いものです。

私はもちろん骨董品も素晴らしいのですが、これからアートに興味を持たれた皆さんには、現代アートをおススメしたいと思っています。

骨董品と違い、現代アート作品の場合は、本人が生きていることが多く、その場で「それは私が描いたもの」とすぐに判明します。
また、アーティスト自身が、写真等によって作品管理をしており、安心感もあります。

同時代アートの理解者たれ!

 

通信販売でもアート作品は人気だそうで、ゴッホやマチス、シャガールやピカソのコピー作品が20万円~30万円で売られているようです。身近に名作を飾るという点では、確かに意味があるでしょう。

しかしそれと同じ金額で、若いアーティストの作品ならば、オリジナル、それも書き上げたばかりのアーティストにとっての初期の代表作を手に入れることができます。

少しだけ未来のことを考えてみます。

このまま印刷技術が恐ろしいほどにオリジナルに近づくと、誰でもがデスクトップからダウンロードして、レオナルド・ダ・ヴィンチや若冲を自分の手元に置ける時代が来るでしょう。それはそれで楽しめるはずです。しかし、過去の名作を眺めて暮らすことと、同時代の才能を評価し、同時代アートを共有することは大きく違う意味があります。

皆さんは、今の世界に生きています。だからこそ、同時代に生きるアーティスト、現代アートの理解者であって欲しいし、おそらく共感者であると思えるのです

現状、アーティストとの接点は少なく、交流の機会はごくわずかしかありません。生身のアーティストという、作品も含めて究極の個性をぜひとも皆さんに繋ぎたい、そうすればきっと何か面白いことが起こると思っています。

(文:山口裕美)

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